UNDULATION Statement
[ レイヤー1 : 遠い記憶 ]
ごくごく幼少の頃、曇天に舞う黒き龍の姿を見た記憶がある。その場所は僕が生まれた街の小高い坂の上に佇む神社の境内で、桜の花びらがハラハラと舞い降りる中、僕は母に手を引かれていたと思う。その神社には僕が通っていた幼稚園があったので、その龍を見たのは幼稚園に入園した年か或いは年長組みとなった翌年の春の事であったのだろう。何せ年端も行かぬ朧気な幼児の頃の記憶である。今となって思うに、あの時に見た春の空に舞う龍の姿は、おそらくは老桜の見事な枝ぶりのどこかであったに違いない。
UNDULATIONを立ち上げたばかりの初期の頃、深夜一人アトリエに籠り作業を行なっていると、もう何十年も忘れていた前述の幼少の頃に見た黒い龍の記憶が突如蘇った。不思議な感覚に捉われつつ作品の全面に自らが刻んだ乱線の数々に見入ると、それは徐々に記憶の中の老桜の枝のイメージと同化をしだし、それまで僕の心の中で微かに見え隠れはしていたUNDULATIONにおける創作の意味や意義に関し、遂には絶対的となる明確なコンセプトを僕に気づかせてくれる事となる。
– 龍を描け。龍を示せ。龍の慈愛をそこに刻め。
そんな想いに至った時、思わず涙が溢れた。
[ レイヤー2 : 龍 ]
僕は横浜の中華街に住んで15年程になる。この街は風水的には龍の通り道らしい。また中華街である故、至る所に龍が描かれた看板が掲げられ街中が龍で溢れかえっている。2015年の11月。15年共に暮らした女の子の猫 : モモが旅立った。モモが旅立つ前の夜、ベランダから夜空を見上げていると上弦の月が輝いていた。するとその月の周りに雲が集まり出し、見る見る内にその月を目とする大きな龍の顔が夜空に現れた。それは本当に不思議な光景だった。そしてモモが亡くなって7日目の夜は満月だったのだが、その夜も前回と同じ龍が夜空に現れた。僕はモモを溺愛していたので、モモが居なくなってからと言うもの、世の中にはこんなにも深い悲しみがあるのだと言う事を知り、またその悲しみの深さが余りも深すぎる事に我ながら驚いていた時でもあったので、2回目に現れた龍を見た時は本当に救われた心境となった。優しく慈愛の光に満ちた龍の眼差し。モモは天の龍に守られている事を知ると心の痛みが幾分和らいで行った事を今でも良く覚えている。
街中ですれ違う実に多くの人々。何気無い顔でお互いをやり過ごしている訳だが、個々の胸の内には、この時の僕と同じ様な悲しみの経験がそれぞれの中にある事を知り、ましてや、僕の場合は猫であった訳だが、不幸にして自らのお子を亡くされた人の心を思うと、尚の事、思わず、男女を問わず、行き交う人々の一人一人抱きしめたい衝動に駆られた。
馬鹿ですよね…
[ レイヤー3 : 願い ]
僕の作品中の上下の位置に配する大凡一対の渦巻き状のシンボルは日本の神道に則った狛犬様を表します。その狛犬様の間に流れる幾多の光の様な線は、最終的には静寂を伴った巨大なうねりの塊となり、それはまさに中華街のあの時の夜に僕を哀しみの底から救って下さった慈愛の光に満ちた龍の姿を表します。今では居なくなってしまった人や動物達と過ごした全ての時間や事象は、もはや生と死までをも越えた宿命的永遠の繋がり。決して消え去る事の無い人々の普遍的な心情と愛情の拠り所を龍に託し、熱情を伴った心象的な表現と共に、その望みと願いを面々の作品の中に込めシンボライズする事をUNDULATIONの使命と心得る次第です。
by UNDULATION クワイ華
[ 横浜中華街の夜空に舞う龍 ]
その後、同じ空に何度も龍神様の御姿を…
– 2022.10/15 : 撮影 クワイ華